2年がかりで探し歩く。夢にまで見たエデンの園。 定年退職してから各地の有料老人ホームを見て回り、数十件のなかから岡山にある有料老人ホームを選択した。しかし、入居後、2年たらずして老人ホームが倒産。ガリガリに痩せて大阪・高槻に戻る。帰ってから1年足らずで奥さんが亡くなった。 高槻の南部にある町、閑静な住宅街に夫婦二人が約30年住んでいたが、希望する終の住みかとなる有料老人ホームが見つかった。夫婦二人部屋の購入代金2,800万円を支払うため、持ち家を売却することになった。 子供のいない二人だけの家族で親戚は少しいるが、深い付き合いはなく、二人が遠方で住んでも特別利害に関係することはないようだった。奥さんは5,6歳年上で67歳、ご主人は62歳だったとおもうが、老人と呼ばれるような感じでもなく、マイペースに生活している様子だった。夫婦ともに食道や肺に持病があり改善することはないが、数年で亡くなるような病気でもなさそうといっていた。 販売を始めて1ヶ月ぐらい過ぎたころ、岡山の老人ホームの営業スタッフが来て、家が売れたかどうかを調べ、催促して帰る。ホームの建物は完成していていつでも入居できるようになっているが、家が売れて代金を回収しなければ入居することができない。 現在、ホームに入居している割合は20%と聞くと、にわかには、入居することに賛成できず、不安をいだいていた。夫婦には時折、ホームに行かず、売却のあかつきには3ヶ月でも半年でも二人で旅行すればどうかと、また、その後のことは旅行から帰ってから考えることにしたら、とも助言した。長く勤め、厚生年金がはいり、たくわえもあったので1年や2年温泉旅行に行ったとしても今後の遣り繰りに問題ないともおもっていたから。 老人ホームを探すキーポイントが食べ物だったので、たえず新鮮度や自分たちにあった味付けをしてくれるかが、重要な選択肢となっていて、岡山のホームが一番融通のきいた対応をしている、と言っていた、しかし、老人ホームとはいえ経営があってのこと、早く入居させねば金利がかさみ、工事の代金も支払うことができなくなり、経営することが困難になってくる。 自宅を販売にかけてから4ヶ月経過して購入者が現われたが、その間、ホームのスタッフは4回来阪して 食べ物と土産を持参して、営業を充分にして帰った。 売買契約をして後、順調に進み、滞ることなく取引することができた。引越の日に自宅へ行き、隣近所に挨拶して二人を見送る。寂しそうでもあったが、いま想えば、そのときがもっとも充実いていただろうに。 半年したころ、共通の友人を伴って岡山のホームへ行く。私の奥さんと3人でのこと。二人部屋に入り持参した手づくりの握り飯と煮物を食べながら、ゆっくりと話し合う。5時間、泣き笑いして語った。しかし、寂しいことと、最初と現在の雰囲気が違うようで大阪に帰りたいように感じた。しかし、2,800万円を投入しているので夫婦は身動きできなかった。 その後8ヶ月過ぎたころ、私たち二人で訪問して面談したが夫婦ともに別人のように顔も体も変わっていた。温泉宿で一泊したとき、ご主人の体は骸骨が歩いているような姿になっていた。身長170cm、体重38kg。後で聞いたが、奥さんはもっとすごかったようだった。自分たちの希望を実現するため、すすんでこの地に来たので、辛く、情けないにも拘らず多くを話すことはできなかったようで、こちらとしても深く聞くことはせずに帰ることになった。 電話連絡は時々していたが、岡山へ行って約1年半になったころ、大阪に帰るから賃貸物件を探してほしいと依頼され、同時に、老人ホーム側に対して約束が違うことによる解約を申し込んだこと、お金は返してくれないなどと、揉め事の中身をきくことになった。1ヵ月後、賃貸物件を見つけて報告する。 結局、話し合いの途中、老人ホームは倒産し投入金額の20%だけが返金されて大阪に戻ることとなった。高槻に移ってからは岡山の話題はほとんどしなく、しかも口数少ない日がつづくことになる。人間不信と自己嫌悪で亡くなるまでの奥さんはほとんど人と対面することはなかった。 自業自得といえばそうであり、運が悪かったといえばそうでもある。結果的には夢も希望も粉々に壊され、詐欺横領もどきにあい、財産をとられたことになる。年金で生活はできるものの夢の代償にしてはあまりに大きすぎた。 有料老人ホームとはいえ企業経営と大差なく、理事者たちは経営視点での法解釈によって判断されることになり、運がよければ無罪か、罰金10万円ぐらいで済む。美辞麗句とパホーマンスで一件落着になる。 法律の尺度や整然とした理論構成ばかり気にした裁判関係の制度以外に人倫の尺度で考え判断する人や制度があれば、世の中少しは良くなるのではとおもう今日この頃。 |
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