10.家選び、主観が決め手。

 高槻には新幹線が走っている。先日そこに立ち寄ったとき、以前新築住宅を購入してくれたお客さんと出会った。久しぶりのこと。昭和63年当時、残1区画の住宅を購入してくれたありがたいお客さんと出会える。当時と変わらない穏やかな雰囲気を感じることができた。1時間ほどの立ち話しをしてその後の人生模様について語りあへ、おかげさまで充実した一日を過ごすことになった。

高槻は市の中心より東側にあたる京都よりの地点から、南西の方向にあたる摂津市に向って新幹線が走っている。地図の上では斜めに描かれている。

16年前勤めていた会社がわたしの提案により、150坪の土地を買い取り、5区画に分割して販売する計画をたてていた。家を新築して売るところの建売住宅ではなく売り立て住宅と言って、土地を販売してその上に家を建てる契約をする。土地の契約と同時に建物の請負契約をする方式のことで、計画を実行することになった。

当時の相場は土地の面積25坪、建物延べ面積25坪、間取り・4LDKタイプのものが3,500万円ぐらいで動いていた。評価の結果、土地、建物とも25坪の計画として、相場の70%、2,400万円で売り出すことに決定する。新幹線の音と振動の凄さにくわえ、5本に一本は上りの列車と下りの列車がすれ違う場所でもあり、相当の不安を抱えながら進めることになった。わたしは販売の責任者であることから以後、数ヶ月間、緊張と不眠が続くことになる。

役所にもろもろの申請をして区画割と整地を施し、販売のできる段階にきた。いつもより多くのチラシを用意してお客さんの反響を期待することにした。折り込チラシ広告と呼ばれ、新聞に挿入して需要を喚起するやりかたでほとんどの業者が土曜と日曜にかけて宣伝するのと同じやり方をとった。

公告の日、20組の来訪があった。なにしろ、相場よりも大幅に低い価格なので、お客さんはよく知っている。チラシに書かれた内容を見て、新幹線が近くにあるのは予想している。にもかかわらず安いとイメージして現場へ足を運んでくる。

土曜、日曜を販売日として営業したが、購入したいと希望する人は一人も現われなかった。20組の来訪者があれば、4,5組の方たちが契約するか、または、購入の申し込みをすることになるはずなのが結局、その日は一件の見込み客も獲得することができなかった。惨敗。

新幹線が走っているときの音と振動は、現場に来たお客さんにとって始めての体験、というよりはビックリしたと表現するのが当たっているようだった。来訪者はセールスマンの説明を聞いてからのち、帰る間際に「どうりで安いはず」といって現場を去っていった。

販売者側の立場からは、音と振動のマイナス部分を差し引いて、物件価値の評価を7割に見積もったのであり、けっして割高とも、割安とも思っていない。供給者と需要者の希望が一致するだろうと予想した価格の設定であった。つまりは、最初から3割の値引きをして販売しなければ売れないと予想しての物件であり、消費者にとっても7割の価値と認識して、しかも、妥当と思われる方が購入するだろうと予測した。マイナスを3割に見るか2割と見るか、あるいは5割と感じるか、人それぞれ異なっている。

すべてに希望に叶う物件は高くて手が出せない、選択肢をいかにして絞るか、自分にとって、得るものと捨てるものを鮮明にしながら価格と照合する。3,500万円が2,400万円になる破格的値段。音と振動が1,100万円の値打ちとみるなら一ヶ月5万円を貯蓄して18年以上もかかる莫大な金額になる。

客観的という尺度はむなしく思える。各人各様の感情がおこり、主観に左右される。需要者自身の魂と掛け合うことになり、選択の尺度は本人自身であり、自身が生み出す観念が土地や住宅を選択する。

来訪したお客さんの名簿から活動を開始、営業マンが説得にまわった結果、2週間に4組のお客さんが契約する気持ちになった。性急な契約は必ず反動がきて取り消しや揉め事を起こすことになる。この4区画の場合は、たびたび新幹線の現場を案内して慣れてもらうことにした。ときには、ご近所の親しくしていた方の自宅を借りてお客さんを案内し、室内での音と振動を体験してもらい、内外の違いを理解してもらうようつとめた。

納得して、納得して土地の売買契約と建築請負契約を締結して、ひとまずは安心の境地。ノルマを果たした気分になり、睡眠もよく取れる日がしばらくは続く。

お客さんと間取りを修正したり、窓ガラスやふすまの柄を決めたり、クロス類の色を選別したりと忙しくも楽しい仕事をこなし4ヶ月が過ぎていた。計画した5区画のうち4区画の建物は完成していたが、残りの一つだけはいまだ購入する人にお目にかかることなく、ストレスだけがどんどん溜まっていった。

事業の計画では投資したすべてが回収してはじめて評価されるもの。たとえ、一部とはいえ売れずに長期間残れば採算が取れず、失敗の烙印が押される。責任者失格となる。残1区画を販売することによって会社の利益を生み出し、従業員の給料と自分の報酬になる。

残りの一棟は、新幹線に一番近くて5メートルの間隔しかない。音、振動、それに風圧など、生々しく展開されていたことから、販売できるかどうか不安な日々を過ごすことになる。相場より安いと感じて数組のお客さんは現場を訪れるが、来たときの表情と帰りの表情がいつも違っていた。

残り一棟の建物が完成して2ヶ月が過ぎたころ、現場の近所に住む知人から聞いたと、京都から一人、見学にやってきた。営業社員が応対したところ、30分ぐらい物件を見てから、「買います」とハッキリした口調で述べたと、事務所に戻った社員から報告を聞くことになった。

建築設計を仕事にしている1級建築士、一人で見に来た。新幹線の問題より価格の安さが魅力、いろいろな問題は許容できる範囲で奥さんも了解するだろう、明日、京都の自宅に訪問することを約束して帰られた・・・・・。半信半疑、しかし、氏名・電話・住所・家族構成・現場近くの知人名を克明に記入しているので、期待感も膨らむ。

あくる日の晩、京都の自宅を訪問する。所在地に来たとき、購入するだろうと直感した。国道に面してひっきりなしに車が往来している所で、24時間、騒音のする場所で生活していたから。

夫婦とご子息の3人家族。皆さん明るい顔をして迎えてくれた。座って挨拶をしたときに、契約できると確信することができた。不動産を購入されるほとんどの方は、得心の大きさが表情にあらわれ言葉がなくても、心を表明してくれる。30分で契約の手順を説明して会社に帰った。お客さんは至福の顔をいていたが、わたしも帰りの車中で営業社員を尻目に至福の表情だったと想像できた。

残り1区画を見学されて気に入ってもらったお陰で、無事に完売することができた。先日、偶然に再会して明るい表情をしながら建築設計者と語り合うことができた私は、帰りの車中、まるで、16年前と同じような気分となり、いまだに続いている不動産の仕事に、幾分かの誇りと満足感で充実した一日を過ごすことができた。